幸せの定義☆

みなさま、こんにちは!

弁護士の菅原です。

 

暑い暑いと悲鳴をあげて過ごした数週間を越えて、

あれ?言うほど暑くないかも、という気がしてきた、ここ数日。

 

もう暑さのピークは過ぎてしまったのでしょうか。

それも少し寂しいような気がするのは、わたしだけではないはず。笑

 

 

さて、またブログを書き始めよう!

という気持ちは、今より少し前から持っていて、

「またブログを書いてくださいよ!」という嬉しい催促も

いただいているのですが。

 

 

今までのわたしの、ゆるやかのんびりなOLブログを

「治療的司法」を冠したこのブログで書いてもいいのだろうか。

 

という内容への迷いがあって、

なんだか筆が進まずに、また半月ほど経ってしまいました。

 

 

実は、このページのほかにも、

このような私の紹介ページを作って頂いて。

 http://mbp-nara.com/sugawara-naomi/

こちらでは、何か役に立つようなコラムを書いてください、

といわれているんですよね。

 

 

うーん、

そうなると、OLブログは、ここで書くしかないか。苦笑

 

 

ちょっと治療的司法から離れる内容になるかもしれませんが、

治療的司法って難しそうだけど、

なんだ、こんな弁護士が実践しているんだ、

と、身近に感じてもらえる一助になれば・・・・いいかな?笑

 

 

さて、

ここ最近改めて考えるようになってきたこと、

それは、

「幸せ」って、なんだろう、ということです。

 

 

暑いさなかにアイスをぱくりっとしたその瞬間

「あ~幸せ!」

と思わず声が出ることもあれば、

 

街中、仲良く買い物をされているご家族を見かけて

ああ、幸せそうだなあ、と思うこともある、

 

 

小さかったり、

大きかったり、

目に見えないような、

でも(特にほかの人の幸せは)目に見えるような、

 

思えば、

「幸せ」って本当に不思議な概念ですよね。

 

それとは反対に、

すごく落ち込んで、

だまっていても涙がでるようなときもあります。

 

 

 

ここからが最近特に考えていることなんですが、

ああ、つらい

しんどい

悲しい

苦しい

こういうときは、

不幸か?というと、必ずしもそうじゃない、ということです。

 

 

私の場合、つらく落ち込んでいても、

幸せか、不幸かどちらかに分けるとすると、

それは、間違いなく「幸せ」だと気付いたんです。

 

 

どうしてだろう?

とさらに考えると、答えは単純。

 

 

わたしらしく、自分らしく、人生を生きているから

 

少なくとも、そう思いながら毎日を生きている中で起こる出来事は、

いいことでも、かなしいことでも、

どんなことでも、受け入れられるから。

 

 

そうすると、「幸せ」っていうのは、

それぞれが、自分らしく生きられている状態

という意味なのかな。

 

あくまで私の解釈ですが、そんな風に思っています。

 

 

さて、今週末はお盆ですね。

お墓参りや帰省などで、懐かしい顔に会える方も多いんじゃないかな。

どうぞ、みなさまらしい週末をお過ごしくださいね!

 

また来週もどこかでお会いしましょう☆