「貝の火」

みなさま、こんにちは。

弁護士の菅原です。

 

すっかり間が開いてしまいましたが、

今日はこちらを更新です。

ちょうど関西では、今桜が見頃を迎えています。

川沿いの桜並木は、どこも淡いピンク色です。

 

桜は散りぎわが美しい、と言われるけれど、

わたしはまだまだ未熟者なのか、

満開鈴なりの枝先を見ると、嬉しくなってしまいます。

みなさまは、いかがでしょうか。

 

 

さて、

宮沢賢治の「貝の火」という童話をご存じの方も多いはず。

 

 

主人公のホモイは、うさぎの子供。

 

ホモイは、ひばりの子供を助けたことで、

「貝の火」という宝物を譲り受けます。

 

「貝の火」は、宝石のようなものでしょうか、

中にちらちらと炎が燃える、とても美しい宝物。

これを生涯守り抜いた者は、ほんの一握りで、

ホモイは父親から、「貝の火」の中に見える炎をなくさないように、

と諭されます。

 

でも、ホモイは結局、悪いキツネにだまされてその悪事に荷担してしまい、

「貝の火」の炎を消してしまう。

ついには、「貝の火」が砕けて、ホモイは失明してしまいます。

 

 

わたしはこのお話を、宮沢賢治が大好きな母親に

幼い頃、何度も読み聞かせてもらいました。

 

 

何度聞いても、

「貝の火」を失う場面が、とても怖かった。

しかも、

フクロウが、最後にこう言うんです。

 

「たった6日だったな。ホッホ。」

(うろ覚えなので、不正確かもしれませんが)

 

 

幼い頃のわたしにとって、

「貝の火」を、たった6日しか守れないホモイの物語は、

悪いことをしてはいけない、という教訓の物語だと思っていました。

 

 

つい最近、

ふとこの「貝の火」の物語を思い出すことがあり、

久しぶりに少し、読み返してみました。

 

すると、幼い頃には気にもとめていなかったホモイの父親の台詞が、

わたしにとっての、

この物語の色を、がらりと変えたんです。

 

 

ホモイの父親は、失明したホモイにこう言っています。

 

「こんなことはどこにもあるのだ。

それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。

目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。」

 

 

 

わたしたちの人生は、大切な物を失うようにできている。

ホモイの父親の台詞は、このように聞こえました。

そして、どんな時でもホモイを支える父親は、「愛」そのものに思えました。

 

 

わたしたちは、自分の命さえ、失うようにできています。

今まで気にしていなかったけれど、

大切な物を守り続ける、というよりも、

失い続ける、というほうが、ひょっとしたら人生の本質なのかも知れません。

 

 

だけれど、

わたしたちは、いつでも希望を持つことができる、

いつでも、前を向いて歩いていける、

そんな強いメッセージを、

大人になったわたしは、「貝の火」という物語から感じられるようになりました。

 

 

さて、

前置きが長くなりましたが。

 

以前、このブログでも少し紹介させて頂いた、

一般社団法人ガーデン(薬物依存症の回復支援をされている施設です)さん

や、その関連施設が集まっている、

一般財団法人ワンネスグループさん、というところがあります。

http://oneness-g.com/

 

 

わたしは、この4月から、このワンネスグループさんのダイバージョンセンターを

お手伝いすることになりました。

 

ダイバージョンセンターというものは、

依存症に苦しむ方の刑事手続きに積極的に関与して、

少しでも治療や回復につながる刑事処分を目指すところ、です。

 

 

わたしも、

例えばホモイの父親のように、

依存症に苦しみながら刑事事件の被疑者・被告人となってしまう方々や、

そのご家族など大切な方々にとって、

 

その心を支え、

希望を与え、

未来に一筋の光を指し示す、

 

そんな活動ができたらいいな、と思っています。

 

 

ダイバージョンセンターの活動は、

このブログや、ワンネスグループのホームページのブログで、

またご紹介しますね。

 

 

それでは、またの更新でお会いしましょう☆

みなさまの今週末が、桜色に染まる、ステキな週末となりますように・・・。

 

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    イシュタルのしもべ (木曜日, 26 1月 2017 23:25)

    私も貝の火は物凄く不思議な話だなと思いました。
    受け入れて頂けるかは分かりませんが、私なりの解釈を説明させて下さい。
    貝の火は偶然にもたらされたものであったのに、ホモイは思い上がって元から自分のところに来る運命だったと勘違いし、とうとう取り上げられてしまった。
    実はこれこそ神から試された運だった。
    その使い道を間違えて取り上げられてしまった。そのことを知恵の権化であるフクロウは使い道を誤ったからたった六日で取り上げられてしまったね、と言っているのではないかと。
    現代でも成功した人が自慢気に私はこうして成功した、などと自叙伝を書きますが、ペンタゴンの調査では成功した人でその後転落してまた再起した人は殆どいないそうです。
    つまり成功したのは運でしかないと言うことなんではないか。
    神から頂く運は、使い道を試されていると言うことではないか。
    その使い道誤った例えばホリエモンや村上ファンドは六日ではないけど取り上げられてしまったのではないかと考えています。
    神は自らの右腕をリクルートします。
    これはと思う人にluckを与え、使い道を試します。
    残念ながら使い道を誤ったら次はありません。逆に使い道を間違えなければ次はより大きなluckを与えるでしょう。

    以上が私の感想です。
    勝手に御託を並べて申し訳ありません。

    因みに私はユダヤ系日本人の医者です。